ずーっと気になっていることがある

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なぜか原点に戻るクセがあるわたし。

たとえば家にいて大雨が降りだす、『ああ、屋根があってよかった!』

雨の日、傘をさす時、『雨が降り続けるのにこうやって濡れずに歩けるなんてすごい!傘を考えた人、すごい!』と、よく思います。

もう慣れたから考えないという風になりません。毎回感動します。

というふうにみんなが何気なく過ぎるところを立ち止まってしまうのです。

 

人が牛や豚を食べること

あの牛、あの豚、食べるの?どうして平気なの?とよく思う。

今日はテレビでかすうどんというのをやっていました。

牛の腸を揚げてうどんに入れるとおいしいと。

気持ち悪くない?と思います。

では肉は?腸も同じレベルかも?やっぱりどっちもあり得ない、と思います。

料理番組ではしょっちゅう思います。

どうしてそんなにさりげなくとおり過ぎれるの?と。

 

家畜はさらにあり得ない

ライオンがシマウマを食べるなら、人も生き物だから、100歩譲って認めましょう。

でもそれは狩。ライオンはシマウマを育ててはいない、人は育てて、もしくは可愛がって育てて食べる。あり得ない。

ある芸能人は、鶏を大事に育て万感の思いで料理し愛おしく感謝しながら食べることこそが意味がある、というようなことを言っていました。

この理屈わからない。繰り返し考えるけれど納得できない。

ご飯を食べる時、お米を作ってくれた人やお米自身に感謝して大事に食べる、というのはわかるけれど。

 

人が戦争をすること

人はだれも自分勝手なのはわかります、自分もそうです。

動物は同種では、基本、戦っても最後まではいかなくて、終えるといいます。

(例外はありますが、)

人は動物としても本能を忘れた、生き物だという考えが納得です。

動物本能が健在なら、戦争は起こらないのだそう。

 

牛乳を大人が飲み続ける必要ある?

そもそも牛乳を飲むことも考えるとちょっと変では?と思う。

アイス食べているわたしも変なのだけど。

(豆乳だけのアイスが近くで買えたらいいなと思いつつ)

今度、小豆アイスを豆乳で作る方法を完成させたい。

給食の、和食に栄養バランスの計算上、牛乳を加えるか?否か?問題もあったけれど、滑稽だった。

 

栄養バランスの前に真っ当な質を問うべきでは?

工場で水と光で野菜を作る。

季節や気候に関係なく生産ができていいという。あり得ない、あきれた発想。

ほんとうに頭が悪いと思います。

 

動物園の存在

動物園の存在も不自然だと思います。

もし動物園をするなら、傷ついた動物の病院であり、孤児院であるべきで、森に返せる時期がきたら返すべきと思います。

外国から高いお金を出してパンダを借りるのもおかしい。

中国に見に行くか、テレビ番組で見ればいいと思う。

いままで生きてきてずーと思って来たけれど、わたしだけではなかった、

このサイトに出会って、ほっとした。

わたしには動物本能が残っていたのだ、と。

 

参照⇒生活習慣病を予防する食生活

佐藤章夫氏が亡くなられたのはとても残念です。

 

食べることには謙虚でありたい

おいしさというより、旨みに対して追求し過ぎてはいけないと思います。

旨みを求め過ぎるから、フォアグラなど思い付くのではないかと。

おいしいとはもっと自然な控えめなものだと思うのです

おいしいには、『足るを知る』というモノサシを感じます。

 

デザテン